若者の感覚を信じる 自動車の未来
2010-11-22


私事ですが、私の娘たちはいわゆる「脱ゆとり教育」の移行のただ中にいまして、毎年のように変動するカリキュラムに教師の方々はじめ多くの関係者もとても苦労されているようです。

その中で「ゆとり教育」は反省すべきものとして語られています。報道や論調でも学力や競争力の低下が著しいとされ、購買意欲も少なく内向的であるため、結果国力低下につながる、、そう言われているようです。

私見ですが、ややマイナス面が強調されすぎているように思っています。私の周りだけで申し上げれば、この世代にやさしさ、志の高さ、目標への一途さに目を見張ったことが何回もあります。恐らくは、人を評価する視点そのものが疲弊したのだろうと思っています。あくまで私見ですけれど。。
それぞれの世代には掛替えのきかない一回性の歴史を背景にもつゆえに、それぞれの時代を自分たちで担って行くしかありませんものね。マイナス評価を背負わされたとしてもそれは日本国内だけであり、だからこそ海外に出て行くという行動は理解出来ます。

さて、自動車のデザインに感動しなくなって久しい、とある方がおっしゃっていました。私自身も好きな車は旧車ばかりで、現実に購入した車は好みより現実的な要望に応えたものです。「車の買い方が変わった」と言われればなるほどと思っていました。

しかし、近所の小さな男の子達に触れていると「やっぱり男の子は乗り物が好きなんだなぁ」と感じます。
新幹線、電車、バス、消防車、ゴミ収集車、フォーミュラカー等々。

私は「そうか!」とひとりごちました。「ゆとり」と言われる若者が車を好きにならない本当の理由が、車の方にあるのだと。
彼らが担う時代は彼らの意識と深く関わっているはずで、そのやさしさ、志の高さ、社会的視点から魅力的な車でなければならないのではないか、、そんな風に思ったのです。

私は若い人たちの感覚を信じています。彼らが夢中になって作った車は全く新しい価値を持っている事でしょう。
(そこに何らかの形で参加出来れば嬉しいことは言うまでもありませんね)
[未来]

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