透明なデザイン
2011-04-22


少し前に「方向転換」について書かせて頂きましたが、「ばれる時代」の普通とは、どんなデザインなのでしょう。

話が飛びますが、私たちの心象は、同じ一連の事実の連なりでも知らされる順番と不明点の伝え方によって大きく変わるものです。
例えば、大きな事故があってその情報が少しづつわかってくるという様な状況で、最初に「問題ない」と言った後で色々と事実が判ってくることがどれだけ人を苛立たせるか、経験した方は多いと思います。
最初に判らないことと判ったことを並べて、事実が判るたびにそれを繰り返すという態度の方が好まれる様になってきているのは間違いないでしょう。

ばれることを前提にした時、いい情報も悪い情報も含めて、その時点での客観的な評価に心を留める方が良さそうです。
例えば「今私は仕事をしている。」「怒っている。」「迷っている」など今していることを認知することを「メタ認知」というそうですが、絶えずことの全体像をメタ認知した状態が求められるのかもしれません。

デザインのプロジェクトにおいても、その背景やビジネスモデルやユーザーや評価など、全てが同時多発的に伝わってしまう状況は、プロジェクトのどの進捗段階でも、不足や不備も含めてつまびらかにオープンになっているという自覚を求められているのです。(勿論、守秘義務は当然のことですので、心構えとしてのお話ですが)
それを思いますと、最善のストーリーをお膳立てすることはもう時代遅れなのかもしれませんが、同時に安易なストーリーやごまかしを排除する方向で働く可能性があります。

全てがメタ認知された上で成立し「いいね」と言われるデザイン、仮にそれを「透明なデザイン」とよびますと、それがこれからの普通なのかもしれません。

過去記事:方向転換
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