模倣の態度
2011-02-17


4年ほど前、中国で仕事をするかもしれない状況になり、工場や依頼先の伝手の有る方と情報交換していた時期がありました。その時に痛感した事があります。それは中国の方の模倣への態度とスピード感です。

あるサンプルを見せて、それを真似させて見るとだいたい一晩で似たようなものをつくってきます。この真似る速さは、デザインを守る立場からしますとマイナスの感情とともに知っている方は多い事でしょう。

同じものを真似させたわけではないのですが、私を筆頭に日本の人たちであれば時間をかけて丁寧に一生懸命真似るでしょう。そして時間さえあれば本物そっくりのものを作れると思います。
最終的には模倣のレベルが違います。
しかし、一晩で達成出来るレベルは圧倒的に彼らの方が高いかもしれません。

一晩で作ったものはよく見ると実に大ざっぱに作ってあり、ばっと見は似ているのですが、細部は全然違います。これを私たちは「酷い」と思ってしまいますが、彼らの捉え方は少し違うようなのです。
彼らは全体を見て、その全体を素早く真似ているのですね。全体像が第一義なのです。だから、細かい事は気にしないし気にならない。だからこそそこに気がつく人が先に進む素質を持った人なのでしょう。

話は飛びますが、中国の書や武道には「型」があります。流派にもよると思いますが、その型を真似て、それが完璧になってから自分らしさと言うものに進んで行きます。
この「型」に従うためには自分を捨て、言われた通りに何度も繰返します。
「型」は一生のうちに到達出来るレベルをいくつも積み重ねて濃縮させた先人の知恵です。千年の単位でかかるものを数十年で体得させるためにあるものなのですね。

彼らにはその「型」を盗み取ろうと言うたくましさと、隙を狙う緊張感がありありとしている、、そんな風に感じたのでした。
もしそうであれば、模倣の意味も闘うルールも全然違う事になります。
模倣ありきの世界では創造の価値とはどのようなものなのでしょうか。
東洋に答えを見いだせば、それは「人」という言葉かもしれませんね。
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